海側へ出ると、細道が続いていました。
そして道はなくなり、海岸線が島の東端まで続いていました。ここを歩けというのか…
先へ進んでみることに。
それにしても打ち上げられたゴミの多いこと。
中国・韓国などの近隣諸国からのゴミもありましたが、一番多いのは日本のゴミでした。
ここ周辺の石はどれも角が取れているため、上から踏んだ際によくぐらつく、よって、非常に歩きづらいのです。
「相島積石塚古墳←」の看板も、人間を見るのは久しぶりではなかろうか。
非常に見晴らしの良い場所につきました。
こちらは朝鮮通信使関連遺跡群の石碑。
ただ石が積み上げられているだけのようにも見えますが、この下には人骨等が埋まっていたんでしょうねぇ。
やはり江戸から朝鮮まで行くのは並大抵のことでは無いのでしょうね…
ちなみに、ここからは島の名所である鼻面半島が、
そしてもう少し離れてみると、鼻栗背(通称めがね岩)が見えます。
高速道路では新宮町を表す標識にもなっているんだそう。
なるほど、確かにきれいに穴が開いている。自然のちからってスゲーですね。
つづく
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